「あれ……以前……ここに何かあったよな?」

高田馬場駅前を歩いていて、ふと足を止めたことはありませんか?
早稲田通りのわき、西武新宿線の線路際に、やけに細くて古い小屋の連なりがありました。
その古い小屋はお店(寿司屋、うどん屋、居酒屋など)で堂々と営業していました。

その小屋たちが2025年に解体されました。
解体された理由は「不法占拠」で、壁の奥からは謎のトンネルまで出てきて……ネットは大騒ぎになりました。

今回は「高田馬場バラック解体」をテーマに書いていきます。

そもそもどんな物件だったの?

場所はマクドナルド、くら寿司が入る「稲門ビル」と西武新宿線の間の壁沿いで、かつては10軒ほどの飲食店などが営業していました。
早稲田通りに面した寿司屋は名店として知られていたそうです。

驚くのはその狭さです。
真横から見ると前後の幅はどう見積もっても1m〜2mほどとされています。「この奥行きで店を成立させたのか」と思うと…もはや建築というより忍者屋敷です(笑)

さらに、この建物群は西武鉄道の軌道と公衆用道路に半分ずつ根を張っていて、真上を西武新宿線が走り抜けるという立地でした。


ちなみに不動産広告風に書くとこうなるはずです。

◎高田馬場駅徒歩1分
◎日当たり良好(電車が頭上を通過)
◎奥行き1m台のコンパクト設計
◎上下水道、電気は要相談(要現地確認)

不動産屋さんがこんなチラシを作ったら、翌日に消費者センターから電話が来そうです(笑)

衝撃の事実

この飲み屋横丁のような小屋群が、2025年の夏に「実は不法占拠だった」としてニュースになりました。
常連さんにとっては「え、ずっとあったのに?」という驚きだったはずです。
あまりに堂々と建っていたので「何か許可を取っているのだろうと思っていた」という声もネットに上がっていました。

土地はもともと西武鉄道の所有で、全体が不法占拠状態だったとされています。
不法占拠は当然ながら褒められたことではありません。ただ、長年そこにあった風景が消えることに寂しさを覚える人が多かったのも事実です。

解体後の現場は殺風景な壁面と砂利、それを囲むフェンスだけが残り、現在は立入禁止です。
「見に行ってみよう」と思った方もフェンスの中には入らないでください。理由はこのあとのトンネルの話で分かります。

解体したら「穴」が出てきた

事件はここからです。
解体が進むと…建物の陰に隠れていたものが姿を現しました。

解体後に見つかった謎の穴を見物した人によると、穴ではなくトンネルだったそうです。
もとは暗渠(あんきょ)で抜け道として使われていたという説があります。造作から見て、戦後にバラックができてから店舗などに使われていたような雰囲気で、トンネルの先は雑居ビルだったそうです。

また別の見物者は西武線の築堤の下にある「戸塚暗渠」と呼ばれるトンネルを、バラックの解体で両側から見られるようになって初めて訪れたと報告しています。存在にすら気づかなかったという人が多かったようです。

日刊SPA!も以前は大半が建物で隠れていたトンネル状のスペースがフェンス越しに丸見えになったと伝え、防空壕を思わせる謎のスペースと表現しています。

ここからはちょっとホラー(これは妄想ですw)

想像してみてください。

終電も過ぎた高田馬場の夜。
頭上を最後の西武線が「ゴォォ……」と通り過ぎ、静寂が戻ります。
フェンスの向こうには暗渠だったかもしれない、防空壕のようにも見える穴が口を開けています。
その先は雑居ビルにつながっています。
ある夜、雑居ビルの壁の向こうから「コトッ」と音がしても、おかしくはありません。

……もちろん、実際は工事で塞がれているでしょう。それでも何十年も誰かの生活の裏口だったかもしれない穴です。
線路の下でじっと待っていたのかもしれません。何を待っていたのかは分かりませんが……。

不法占拠の歴史をざっくり振り返る

なぜ高田馬場にこのような場所ができたのでしょうか。

ここで「不法占拠の歴史」を見てみましょう。

不法占拠が生まれやすいのは社会が混乱して行政が十分に機能しない時代です。その代表が戦後でした。空襲で焼けた街には住む場所がなく、人々は手近な空き地や線路沿いに、あり合わせの材料で小屋、つまりバラックを建てて暮らし始めました。

高田馬場も例外ではありません。現在の高田馬場1丁目の大半はかつて「諏訪町」と呼ばれ、木造の小さな建物が密集していました。学生向けの貸間や下宿、アパートが並び、東京都の調査ではその数は41軒で、「仮小屋住宅集団」として扱われています。

調査には家庭内汚水の排水設備がない建物が41軒中15軒あり、水準以下の住居が8割を超えるという記録もあります。
今の感覚だとかなり厳しい環境ですが、当時の高田馬場では珍しくない風景だったようです。

その後、街は大きく変わりました。1910年に山手線の駅が開業し、1928年に西武新宿線の駅が現在の位置に移り、1964年の東京オリンピックの年に地下鉄東西線が開業して、今の駅の形ができあがりました。1974年には黒川紀章設計の「BIG BOX」が完成し、現在の駅前のイメージが完成したと言われます。

街がどんどん近代化するなかで、線路と壁のすき間のバラックだけが、時間が止まったように残りました。
都市開発から取り残された、戦後の生き残りだったわけです。

なぜ令和まで生き残れたのか?

いちばん気になるのがここです。

西武鉄道はなぜ長年放置したのでしょうか?
確証はありませんが、ブログなどでは推察がいくつか挙げられています。

ひとつは「規模の小ささ」です。
BIG BOX周辺の開発に比べて優先順位が低く、あえて見逃されてきた可能性があります。

もうひとつは「時代背景」です。
1960〜1970年代の早稲田大学は過激な学生運動の中心地でした。立ち退きを進めるには警察や行政の協力が必要になることもあり、反発を招くリスクがあったのかもしれません。

つまり「面倒くさいから、あえて触れなかった」のだと思います。もしそうなら、放置が続くうちに、その状態が当たり前の風景になっていきます。
こうして令和まで生き延びたのだとしたら、それはそれですごい話です。

クソ物件オブザイヤー2025で「最多RP賞」

この一件は、不動産クラスタでも大きな話題になりました。
年末恒例の「クソ物件オブザイヤー」で、2025年の結果発表では【高田馬場バラック解体】が最多RP賞に選ばれています。

投稿のタイトルは「令和にまだあった!実は不法占拠だったバラック解体。ビフォーアフター」で、ハッシュタグはクソ物件オブザイヤー2025でした。ビフォーアフター映像の破壊力は相当なものでした。

念のため補足すると、「クソ物件」という呼び名は、ひどいと貶すだけの言葉ではありません。
「こんな物件が現実に存在したのか」という驚きと笑い、そして少しの敬意が混ざっています。

高田馬場のバラックは、そのなかでも「解体されたからこそ殿堂入りした物件」と言えそうです。存在が消えたことで、かえって伝説になりました。

跡地を歩いて思うこと

不法占拠は許されることではありません。
火災や倒壊の危険もあり、解体には「火事になってからでは遅い」という現実的な理由があります。ここは冷静に押さえておきたいところです。

それでも…あの壁沿いの小屋で、誰かが仕込みをして、誰かが酒を飲んで、頭上を電車が通るたびにグラスがカタカタ鳴っていたはずです。
そういう生活の気配がふっと消えて、残ったのは砂利とフェンスと口を開けたトンネルでした。

現在、高田馬場は再開発が進み、中華系・東南アジア系の店も増えて日々姿を変えています。
そのなかで、あの壁沿いだけは時が止まったような空間になりました。

もし近くを通ったら、外側から眺めるだけにして少しだけ耳を澄ませてみてください。西武線の走行音の合間に遠い昔の乾杯の声が聞こえてくるかもしれません。

……聞こえたとしても、トンネルの中には入らないでくださいね(笑)


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